特別長編 代作とその周辺 ――偽りの著作者名の表示行為について 第5回

2015年5月18日

大家重夫

『久留米大学法学』第59・60合併号 1頁から44頁。平成20(2008)年10月31日 発行

第7章 著作権法第15条(法人著作)との関係

昭和45(1970)年に全面改正された著作権法は、一定の要件を備えた場合、法人、代表者の定めのある法人格のないグループも「著作者」となりうる途を開いた(注1)。それ以前の旧著作権法時代は、このような条文がないため、法人が著作者たりうるかについて、争いがあった(注2)。

著作権法15条は、次のように定める。

「法人その他の使用者(以下この条において「法人等」という。)の発意に基づきその法人等の業務に従事する者が職務上作成する著作物(プログラムの著作物を除く。)で、その法人等が自己の著作の名義の下に公表するものの著作者は、その作成の時における契約、勤務規則其の他に別段の定めがない限り、その法人等とする。

2 法人等の発意に基づきその法人等の業務に従事する者が職務上作成するプログラムの著作物の著作者は、その作成の時における契約、勤務規則其の他に別段の定めがない限り、その法人等とする。」

プログラムの著作物を除く著作物については、1、法人その他の使用者(以下、法人等)の発意に基づいて、2、その法人等の業務に従事する者が、3、職務上作成するもので、4、その法人等の名義で公表され、5、その作成時における契約、勤務規則其の他に格段の定めがない限り、著作者は、その法人等とする。

プログラムの著作物については、4、その法人等の名義で公表されるという要件はなく、他の要件を満たせば、そのプログラムの著作物の著作者は、法人という。

なお、法人については、著作権法2条6項に「この法律にいう「法人」には、法人格を有しない社団又は財団で代表者の定めがあるものを含むものとする。」とある。

加戸守行によれば、15条の条文の趣旨は、「従業員等の職務上の著作物に関し、使用者及び従業員の意見を推測して、一定の場合に使用者に著作者である地位を認めるとともに、当該使用者が団体である場合には、その団体が著作者としての地位に立ち得ることを明らかにしたものであ」る(注3)。

従業員が企画を出したり、アイデアを出ししたりして、著作物を作成しても、使用者が承認すれば、「発意」があると解されている。その意思は直接間接、使用者の判断にかかっている。

たとえば甲野太郎というポス教授が、大学院生数人に命じて、「著作権法解説」という著作物を執筆させ、これを、「甲野太郎教室」を著者として発行し、甲野太郎は、全く執筆していない場合でも、これは法人著作として認められるであろう。世人は、「甲野太郎教室」とあれば、これを信頼して購入し、甲野太郎は全く執筆していなくても許されるであろう。

問題は、1、「法人等」すなわち、「法人その他の使用者」には、「個人」も含まれるかである。また、2、「法人等の業務従事する者」とは、雇用関係に在ることを要するか、それに限らず使用者と被用者との聞に実質的な指揮監督の関係が在ればよいとするかである。 1、について、私は、含まれると解する(注4)。小規模経営の店舗の個人経営者もこれに含まれるという解釈を採る。

そうすると、甲野太郎が全く執筆しない場合の、「甲野太郎著 著作権法解説」も合法ということになる。わたくしは、この点が、問題であると考える。

もっとも、これらの場合、甲野太郎が、全く執筆していないが、全体を一読、一瞥するというケースは多いであろう。

加戸守行は、甲野太郎という名前で、甲野太郎が全く執筆していなくても、門下生が書いた場合、職務著作そのものとはいわないが、「職務著作的な意味において創作行為を行わせた」として、(形式的には、本条に該当するが違法性を欠く行為と評価できる場合が多い)であろうとされ、次のように述べている(注5)。

「世上にいわゆる代作の場合には、別途の考察を必要とするところで」として、「有名作家がその弟子をして実質的に創作せしめた小説、あるいは大学教授がその助手をして具体的に執筆させた論文を、有名作家なり大学教授の著作物として対外的に発表する場合でありまして、これらは、社会的には著作名義者のものとして通用するものでもあり、また、著作名義者は世人を欺く意図をもって代作させたというよりも、むしろ職務著作的な意味において創作行為を行わせたと考えられる場合がございます。したがって、代作が全て本条の罪に該当するものと解することには、社会的実態からして問題の存するところでございまして、例えば、有名作家が構想を示して助手がその構想及び作風に従い具体的文章を執筆したものをその作家の作品として発表するとか、グループで研究した結果を論文にまとめそのグループの指導的立場にあった大学教授の校閲を経てその大学教授の名前で発表するといった多くの場合には、世人を欺くという反社会性は認め難いところであります。このように、代作の場合には、構成要件的にみれば形式的には本条に該当いたしますけれども、違法性を欠く行為と評価できる場合が多かろうと考えられます。」。

加戸守行は、有名作家、大学教授の門下生が「代作」をした場合、職務著作の規定をいわば「準用」して、多くは合法となるであろうとされる。

板東久美子は、「いわゆる『代作』の問題」「実際は助手等に執筆させた著作物を大学教授の名前で公表する場合、部下に執筆させた文章を上司の名前で公表する場合などについて本罪が成立するかという問題」について、こういう。「この場合は、著作名義者は世人を欺く意図で代作させたというよりも職務著作的な意味において代作させているという場合があり、世間も代作であると知りつつ、あるいはその可能性が強いと認識しつつその著作名義者の著作物としての価値を認めて購入することもありうる。このような社会的実態からみて、代作がすべて本号の罪に該当すると解するのは妥当でなかろう。グループ研究の成果をまとめた論文を、実際に著作は行わなかったが常々そのグループの指導的立場にあった者の校閲を経てその名前で発表するような場合など多くの場合は、可罰的違法性を欠くと判断されることとなろう(加戸508頁)(注6)」。

加戸守行は、1、有名作家、大学教授を例としてあげ、板東久美子氏は、大学教授のみを例としてあげ、2、世人を欺く反社会性、意図が認めがたいか少ない、3、職務著作的な意味がある、4、板東久美子は、世間も代作であると知りつつ、あるいはその可能性が強いと認識しつつ購入することもありうる、として、「多くは可罰的違法性を欠くであろう」と結論づけている(注7)。

2、使用者と被用者の関係である。

著作権法15条1項は、①法人その他の使用者(以下、法人等)の発意に基づいて、②その法人等の業務に従事する者が、③職務上作成し、④その法人等の自己の名義で公表するもので、⑤作成時に別段の契約がない場合、著作者とその法人等とする、という規定である。②その法人の業務に従事する者とは、使用者との問に、1、雇用関係があることを必要とするか(注8)、2、それとも、実質的な指揮監督、指揮命令の関係が在ればよいかである(注9)。

大学教授が弟子に書かせる場合、弟子は、准教授、講師、助手であろうが、教授のポケットマネーで雇用されている場合は、少なく、法人の大学から雇用され、②や③に適合しないため、両氏は、こういう「代作」に著作権法15条の適用されることは、ないと考えたのであろう。しかし、小説家や漫画家の場合、「職務著作」が適用される場合があると考える。その場合、15条により121条は適用されないことになる、それでいいのだろうか、と考える。

なぜなら、動機として「世間を欺く意図がない」としても、有名作家、大学教授の名前に惹かれて世人は購入するのであり、結果的には、「世人を欺いている」からである(注10)。

脚注

注l
著作権法2条6項。

注2
水野錬太郎『著作権法』81頁は、法人の原始著作権を認めるが、小林尋次『現行著作権法の立法理由と解釈』(1958年・文部省)98頁、115頁は、著作者は自然人に限るとする。

注3
加戸守行『著作権法逐条講義 五訂新版』(平成18(2006)年3月・(社)著作権情報センター)144頁。

注4

半田正夫『著作権法概説第13版』(法学書院)64頁は、「個人としての使用主を含むか否かについては立法趣旨との関連で疑問があるが、法文上は格別制限を設けていないからこれを含むと解すべきである」とされる。

『ジュリスト』(有斐閣)467号から486号まで、伊藤正己、菊井康郎、山本桂一、野村義男、佐野文一郎による「新著作権法セミナー」が掲載されている。そこで、新著作権法の立案者である佐野は、次のように述べている。

「(著作権法)15条の場合は実は2つの事柄を一緒に書き込んでいる」「一つは法人等の団体の多数の従業者によって作成された著作物について、その団体に著作者たるの地位を認めるという問題、つまり特許でいえば工場発明と俗にいわれているものに相当するもの」「それから個人の職務上の著作について、場合によってはその使用者に著作者たるの地位を認めるという、事柄としては職務発明と似たものを取り扱っている。」

「ここで『法人その他使用者』といっているのは、自然人を含むのですね。法人に限らず自然人であっても、それが使用者の地位に立つ場合には、15条の要件を満たす限りにおいては従業者にかわって著作者の地位に立つということを書いてある。この考え方は外国の立法例では、フランスの集合著作物の考え方に近いと思います。」(470号94頁)

注5
加戸守行『著作権法逐条構義 五訂新版』(2006年・社団法人著作権情報センター)745頁。

注6
板東久美子「著作権法」(『注解特別刑法』4経済編)(1982年・青林書院新社)55頁、「加戸508頁」の加戸は、「加戸守行『三訂著作権法逐条講義』(1979年)」。

注7
加戸民や板東氏の見解によると、第1章注 3、に述べた友松円諦の事例や久米正雄の事例(安藤盛が久米に私淑し同じ作風、芸風とすれば)、代作とはいうものの、可罰性を欠くとされる可能性がある。可罰的違法性があるとされる事例となしという事例の線引きが困難ではなかろうか。

注8
齊藤博『著作権法第2版』(有斐閣)125頁。

注9
半田正夫『著作権法概説第13版』64頁、中山信弘『著作権法』176頁。 

注10
平山洋『福澤諭吉の真実』(2004年・文春新書)によれば、福澤諭吉の著作とされているもののうち、侵略的絶対主義者的な文章は、石河幹明(時事新報主筆、『福澤諭吉伝』全4巻の著者、福澤諭吉全集編纂者)が執筆したという。平山によれば、福澤諭吉の晩年の著作で、時事新報に掲載された文章は、石河が執筆し、福澤の名前で発表することを福澤が黙認した時期があるようである。平山洋・前掲書145頁、179頁など。

次回をお楽しみに