大家重夫の世情考察

中国政治事情

第5章 鄧小平の時代 ≪第1部 中華人民共和国小史≫

○1978年(昭和53年)

 この年、三中全会が開かれた。
三中全会が開かれる前、谷牧(1914-2009)の視察団を海外へ派遣した。日本の岩倉具視使節団を模倣したもので、華国鋒が決定したとエズラ・ヴォーゲルは述べている(前掲書160頁)。
 第11期全人代第3回会議の開催の前にして、1978年10月22日、鄧小平副総理一行が、日本を訪問した。10月23日、福田赳夫総理と、中日平和友好条約の批准書の交換式、黄華外相と園田直外相が批准書に署名し、批准書を交換した。このとき、鄧小平は、尖閣問題について「棚上げ」を明言した。そのあと、鄧小平と卓琳夫人は、昭和天皇主催の昼食会に臨んでいる。10月26日、鄧夫妻は、新幹線ひかり81号で関西に向かった。「速い。誰かが押しながら走っているようだ」と語り、今回の訪日は「日本に教えを請うため」と記者団に率直に語った。
大阪の松下電器産業のテレビ工場を訪問、松下幸之助(1894-1989)に中国進出を要請した。松下は、これに応え1989年、中国に工場を作り、中国に貢献、胡錦濤ものち、パナソニック本社を訪問する。(中国人は、経済力を付けると豹変する。のち、2012年9月15日、山東省の黄島区のパナソニック電子部品工場が襲われた。全日空がホテル「北京新世紀飯店」を建てたが追出された。結局、日本、日本人は、「お人好し」であったことを思い知る(青木直人「誰も書かない中国進出企業の非情なる現実」(祥伝社新書・2013年)44頁)。)
 1978年11月10日から12月15日まで、中央工作会議が開かれ、ここで、実質的決定がなされ、同年12月18日から22日までの第11期全国代表者大会第3回中央委員会全体会議(11期三中全会)が改革開放、文化大革命からの訣別、第1次天安門事件の周恩来追悼デモは反革命でなく革命的行動であると名誉回復し、「二つのすべて」を批判し、現代化へと路線変更した。華国鋒が召集した2つの会議であったが、鄧小平が実権を手にした(エズラ・ヴォーゲル前掲書152頁)。
陳雲が党副主席となり、彭徳懐、陶鋳らの名誉回復を行った。文化大革命と訣別した。

〇1979年(昭和54年)

2月17日、鄧小平の指示で、中国軍60万人の軍隊が国境全域でベトナムに侵攻する。
3月5日、全面撤兵開始を宣言した。6万人の死傷者を出し敗退した。長谷川慶太郎・小原凡司「米中激突で中国は敗退する」(東洋経済新報社・2016年)31頁は、中国の軍隊間の言語が共通でなかったのが原因という。

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中国政官データ[2016年5月版]

著者:大家 重夫(Shigeo Ohie)のご紹介

著者:大家 重夫(Shigeo Ohie)の写真

2013年 フランス ランスにて

プロフィール

1934(昭和9)年生まれ
久留米大学名誉教授・国際日本語普及
協会理事
LAIT(IT知財法務研究所)
客員研究員

京都大学法学部卒
1960年文部省(現・文部科学省)
1970年文化庁著作権課長補佐
1988年私立久留米大学法学部教授。
1995年久留米大学法学部長
2005年久留米大学特任教授・名誉教授
2011年日本ユニ著作権センターより
「著作権貢献賞」を受賞

主な著書に

  • 肖像権(1979年・新日本法規)
  • 改訂版ニッポン著作権物語(1999年・青山社)
  • タイプフェイスの法的保護と著作権(2000年・成文堂)
  • 唱歌『コヒノボリ』『チューリップ』と著作権(2004年・全音楽譜出版社)
  • 肖像権 改訂新版(2011年・太田出版)
  • 美術作家の著作権 その現状と展望
    (福王子一彦と共著・2014年・里文出版)
  • ウルトラマンと著作権
    (上松盛明氏と共編・2014年・青山社)
  • インターネット判例要約集(2015年・青山社)

などがある。

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