特別長編 代作とその周辺 ――偽りの著作者名の表示行為について 第4回

2015年5月18日

大家重夫

『久留米大学法学』第59・60合併号 1頁から44頁。平成20(2008)年10月31日 発行

第5章 久保天随「三体新書翰」事件

明治大正昭和初期の著名な文人である久保天随(1875―1934、本名得二、台北大学教授)が、自分の名前を著作者名として使うことを許して、富本長州(本名時次郎)が執筆し、佃要三郎が発行者として「三体新書翰」という本を出版した。著作権法違犯事件として、佃要三郎、久保得二、富本時次郎が起訴され、大阪地裁で裁判となった。

一審大阪地裁、二審の大阪高裁で、いずれも有罪となった。

ところが、大審院に以下のように述べて、「原判決ヲ破棄ス、被告要三郎同得二同時次郎ヲ各無罪トス」という判決を命じた(注1)。

「按スルニ著作権法第40条ハ、他人ノ氏名称号ヲ濫用シテ著作物ヲ発行シタル者ヲ罰スルノ趣旨ニシテ、著作名義者ノ同意アル場合ハ、仮令実際其者ノ著作ニ非サルモノヲ其者ノ著作ナリトシテ発行スルモ、其者ハ何等名誉ヲ毀損セラルルコトナカルヘク、従テ之ヲ保護スルノ必要毫モ存セサルノミナラス、又之カ為メ世人読者ノ信用ヲ誤ラシムル虞アリトモ謂フヲ得サルヘシ」続けて、「何トナレハ著作者ニ非サル者ト雖モ他人ノ著作物ニ自己ノ氏名又ハ称号ヲ附スルコトヲ承諾スルニ於テハ其著作物ハ実際其者ノ手ニ成リタルト毫モ選フ所ナカルヘケレハナリ」。

ところで、次のように続ける。

「要スルニ本条ハ氏名又ハ称号ヲ濫用セラレタル者カ告訴権アリテ然カモ不知其他ノ事情ニ因リ之ヲ行使セサル場合ニ於テ其人格権ヲ保護スルト同時ニ著作者ノ氏名称号ヲ詐ハリ以テ世人ヲ欺カントスル非行ヲ制裁セントシタルモノニ外ナラサルモノト謂フヘシ」。

判決は、本条は、1、氏名称号を濫用された者が告訴権ありて、これを行使せさる場合にその人格権保護をすることと、 2、著作者の氏名称号を偽って、世人を欺く非行を罰する趣旨といいながら、1、氏名称号の使用を承諾すれば本罪は成立しないとし、2、については、これを無視したのであった。

この判決が出されてすぐ、佐々木惣一は、著作権法40条は、専ら世人の著作物に対する信用を誤らざらしめんとする公益的見地によるのである、決して仮装著作者たる者の名誉だけを保護するのでない、また、仮装著作者が自己の氏名称号を附することを承諾すれば、その著作物は実際その者の手に成りたると同じ、と判決はいうがこれもおかしい、と批判した(注2)。

これに対し、木村篤太郎は、著作権法18条(当時)「著作物ヲ承継シタル者ハ著作者ノ同意ナクシテ其ノ著作者ノ氏名称号ヲ変更シ若ハ其ノ題号ヲ改メ又ハ其ノ著作物ヲ改竄スルコトヲ得ス」とあり、この条文解釈との均衡からいって、第40条は仮装著作者の名誉を保護する趣旨であり、大審院判決を支持する(注3)とした。

加戸守行(注4)は、この大審院判決に反対で、判例変更を期待しつつ、40条と同趣旨の条文を引き継いだとされている。

板東久美子も、加戸守行と同じく立法趣旨が、1、人は、その氏名称号について人格的利益がある、2、著作者名を偽って発行し、世人を欺くという非行は制裁すべきものであるから、その2の「観点からは依然として違法性を帯びるのであって、前述のような結論が導き出されるのは理解しがたい(注5)。」といわれるが同感である。

私も、佐々木惣一、加戸守行、板東久美子等と同じく、この大審院判決に反対する。

既に触れたように、貴族院特別委員会で、山脇玄委員は、大審院判決と同じく、名前を使用された者が承諾していれば、かまわないという見解であった。

なお、水野錬太郎は、『著作権法要義 全』(明治32(1899)年5月5日発行・有斐閣書房・明法堂)142頁において、第40条を次のように解説した。(筆者が、平仮名にし、句読点を付けた)。

「本条の所為は偽作にあらすと雖、著作者の氏名を詐称するものなれは、殆ど偽作に等しきものなり、蓋し、自己の名を以て其の著作物を発行するときは世人の信用を博することを得す。従って、広く販売し得られさるを以て、有名なる学者の名を附して発行するか如き、本条の場合に該当す。例えは、民法の注釈書に民法起草委員たる穂積、富井、梅等の諸博士の著と称して、之を公にするときは、其発売高を増し、利益を受くることを得るを以て、自己の価値なき著作を諸博士の著述と称して発行するか知き、或は頼山陽の実際著作したるものに非ざる著作物に、山陽の名を附して発行するか如き、是なり。是れ、詐偽の行為たるのみならす学者の名を濫用するものなれば、著作権を侵害したると同一に罰するの必要あり。是れ特に本条に於て之が罰則を設け且其ノ罰も殆ど偽作の場合と同一に為したる所以なり。」

水野は、有名な学者が、その名前を使うことを承諾していた場合については、触れていないと解される。

なお、城戸芳彦は、「他人の著作物に自己の氏名称号を使用し、又は他人の氏名称号を、自己の著作物の著作名義に利用した場合に於て、其の関係者の同意あるときは、本条の適用より除外さるべきである(註二)」として、「(註二)判例、大審院 同意を得て他人の著作を自己の著作なりとして発行するも罪とならず。(大正2(1913)年6月3日判決)」として大審院判決を支持した(注6)。

この判決は、合意の代作すなわち仮装著作者の同意ある場合については、合法というものであったが、「仮装著作者と真の著作者との間の契約」については、違法だという場合と同じかどうかなど考究すべき問題があるが、ここでは触れずに別に論じたい(注7)。

なお、「三体新書翰」事件において、実際に執筆した富本長州、著作者名義の久保天随、出版者の佃要三郎は、いずれも、旧著作権法40条の「著作物ニ非サル者ノ氏名称号ヲ附シテ著作物ヲ発行シタル者」に問擬されている。出版者は、「発行シタル者」といえようが、富本や久保についても、「発行シタル者」で問題なく読めたのであろうか。あるいは、共謀共同正犯の考え方によったもので、疑義はなかったのであろうか。

現行法は、「頒布した者」を罰するから出版者が罰せられ、実際の執筆者や名義者は、頒布行為を幇助する従犯として罰せられるのであろうか。

第6章 タレント、俳優、歌手、スポーツ選手等の著作について

ここ50年程前から、タレント、俳優、歌手、スポーツ選手について書かれた書籍や、タレント、俳優などを著者とする書籍が多く出版されている。それに伴って、例えば、元サッカー日本代表選手の中田英寿の半生を描いた書籍が、無断で肖像写真や小学生時代の作文、詩を掲載したとして中田が訴えた事件(注8)がある。

ここでは、タレント、俳優、スポーツ選手が著者となっている本について、取り上げたい(注9)。

まず、タレント、俳優、歌手、スポーツ選手などがインタビューされ、その口述に基づいて、著作物が作成された場合、次のような判例がある。

SMAPというグループの芸能人・中居正広ほか5人は、それぞれ、インタビューに応じて、(株)主婦の友社発行の雑誌『JUNON』、扶桑社発行の雑誌『SPA!』、(株)学習研究社発行の『POTATO』、(株)マガジンハウス発行の雑誌『an an』にそれぞれインタビューに答えた記事を掲載した。

被告出版社((株)鹿砦社)は、著者「スマップ研究会」、題号を「SMAP研究」とする書籍を発行した。この書籍全体の6分の1に及ぶ記述が、上記の雑誌に記載された個人のインタビュー記事と酷似していた。

中居正広ほか5人及び主婦の友社ら4社が原告となり、(株)鹿砦社及び同社社長を被告として、複製権ないし翻案権を侵害したとして、訴えた。

一部は、複製権侵害とされたが、この裁判で東京地裁は、次のように述べている。

「インタビュー等の口述を基に作成された雑誌記事等の文書について」「あらかじめ用意さえた質問に口述者が回答した内容が執筆者側の企画、方針等に応じて取捨選択され、執筆者により更に表現上の加除訂正等が加えられて文書が作成され、その過程において口述者が手を加えていない場合には、口述者は、文書表現の作成に創作的に関与したということはできず、単に文書作成のための素材を提供したにとどまるものであるから、文書の著作者とはならないと解すべきである(注10)。」

インタビューされた場合、あるいは口述の話を基にして、口述者が全く原稿に目を通さず、執筆者が原稿を完成した場合、執筆者のみが著作者となるといえるであろう。これは、正しいと思う。

ここで、問題にするのは、タレント、俳優、歌手、スポーツ選手等が、インタビューされたり、口述の話を基にして、執筆者が原稿を完成した場合でも、口述したタレント等が加除訂正し、付け加えたりした場合である。

原稿執筆者が、テープレコーダと同じく、忠実に記録し、原稿執筆者が全く自己の意見や自己の表現をせず、これを口述したタレント等が原稿にした場合は、タレント等の単独の著作物である。

タレント・俳優等が、口述し、原稿執筆者が、記述し、これをタレント・俳優等へ見せた、一瞥させたが、「そのまま発表して結構」といった場合、これをタレント・俳優等の執筆行為と同視してよいであろうか。

事後になって、全く加除訂正がない場合と見せなかった場合の区別がつかないため、わたくしは、一箇所でもよいからタレント・俳優等が加除訂正をして欲しいと思うが、著作権法14条の「著作者」はタレント・俳優等が口述した場合を含むと解する。

問題は、タレント、俳優、歌手、スポーツ選手等が著作しているが、それ以外の者が口述筆記したり、データを調査したり、清書したり、表現を改めたり、手助けし、関与した場合とその表示のことである。

一方、タレント等の著作が時々、書店に並び、宣伝される。世間は、人気のあるタレント等の著作物について、誰かが代作したのではないだろうか、と思い、しかし、世人は、本人が全部執筆したとは思わないが、それでもかまわないと考えているのではなかろうか。

こういう観点から、タレントなどが著作者と表示され、氏名の使用について、本人の承諾はあるが、本人が全く関与していない場合、「世人を欺くというような実質的違法性、反社会性がない」と考えることも、一理はある。

1、氏名称号を濫用された者の人格権保護をすることと、2、著作者の氏名称号を偽って、世人を欺く非行を罰する趣旨としても、1、氏名称号の使用の承諾があり、2、については、世人が欺かれていない、というのである。「世人を欺くというような実質的違法性、反社会性がな」いし世間はそもそも、タレント本人が著作したとは思っていない、と考える説がある(注11)。

しかし、わたくしは、全ての世人が、そう思うとは言えない、また、本当にタレント等が書いたと思い、本を購入する人がいることを考慮すると、これらも121条の違反になると考える。1、2、共に立法趣旨とすれば、タレント名義の本について、名義を使ったが、実際に書いていない、犯罪があると司法警察職員、検察官が思料すると、非親告罪であるから、いきなり公訴が提起されることも考えられる。

ただ、最近、出版される本については、タレント等の単独の著作物としてではなく、実態に応じて、関与した者の名前を表示している。

事例1、山口淑子・藤原作弥『李香蘭―私の半生』(1987年・新潮社)のように「共著」という表示にする例がある。実際に、共著にふさわしい協力で成ったのであろう。山口淑子によって、情報を与えられ、素材を提供され、藤原作弥が著作物を創作した場合、藤原作弥のみの著作物としてよいが、山口淑子が、原稿におそらく加除訂正を加えた―単なる日時や、数字、事実の誤記訂正にとどまらず、著作物を付加した―のであろう。

事例 2、山口百恵『蒼い時』(集英社文庫・1981年第1刷、1999年第53刷)の奥付には「著書 山口百恵、プロデュース 残間里江子」とあり、「プロデュース」の表示よりもっといい表示があればと思われるが、しかし、山口百恵の単独名でなく、これもいいと思う。おそらくこの場合、山口百恵の口述や本人が害いた原稿そのままでなく、残間里江子が削除し、加筆し、文章の章立てを工夫し、そのため、「プロデュース」と表現になったと恩われる。

事例3、2003年、草思社発行のB著「運命の顔」は、1、Aが、Bの口述を聴取、録音し、 AがBの口述を聴取、録音しAがBの口述を基に原稿を執筆し、3、BがAの執筆した原稿を確認し表現を確定するという過程でできている。「著作B」「構成A」と表示され、奥付下部には、「©2003、B、A」表現されている。草思社は、印税をBに定価の6.5%Aに3.5%支払った(注12)。原稿料の取り扱いでは、共著でもいいが著者Bからすれば、抵抗があったからBがAに無断で「運命の顔」の複製又は翻案した書籍を発行し、Aから訴えられている。A勝訴。

 漫画の分野では、独りで画と物語を著作する場合が多いが、作がと原作者で分担する例も多い。通常、両者が表示されるが、古典などの文学作品を原作とする場合、その旨も表示される。

ところが、最近、「プロデュース」などの表示がもうひとつ加わる例がある。

浦沢直樹の人気漫画「PLUTO」(小学館)の連載扉絵に「長崎尚志プロデュース」とある。

長崎尚志(もと小学館漫画編集者)は、「20世紀少年」(小学館)では、「協力」、「机上の九龍」(幻冬舎の『パピルス・青木朋・画』では、「構成」)、「終戦のローレライ」(講談社、福井晴敏・原作、虎哉孝征・画)では、「脚色」を使っている。「協力」は、作者と一緒にプロットを作り、作品の売り出し方や単行本の装丁にまでかかわる。「構成」は、原作と編集の仕事を兼ねている。「脚色」は、小説を漫画向きのシナリオにすること、と述べている(注13)。これらの表示と、著作権の所在は関係ない。「終戦のローレライ」は、「©福井晴敏・長崎尚志・虎哉孝征」とあるから、長崎尚志も共同著作権者であろう。

わたしは、著作物性のあるものを付加し、寄与したと認められれば、著作者として扱えばよく、また、「構成」「プロデュース」「協力」「脚色」等の表示をすることは別段、差し支えないと考える。

脚注

注l
大審院大正2(1913)年6月3日判決刑録19輯671頁、法律新聞869号27頁。著作権関係判例集2集(2)539頁。

注2
京都法学会雑誌』8巻10号169頁(大正2(1913)年・京都法学会)。

注3
法律新聞896号3頁。

注4
加戸守行『著作権法逐条講義 五訂新版』744頁。

注5
板東久美子「著作権法」(『注解特別刑法四経済編所収』1991年(第2版)・青林書院)55頁。

注6
城戸芳彦『著作権法研究』(昭和18(1943)年・新興音楽出版社)395頁。

注7
柳澤眞実子「ゴーストライターの氏名表示権」(『著作権法と民法の現代的課題―半田正夫先生古稀記念論集』2003年・法学書院)112頁。

注8
東京地裁平成12(2000)年2月29日判決判時1715号76頁。

注9
猪野健治編著『ゴーストライター』(1978年・エフプロ出版)は、芸能タレントの単行本では、本人が書いたものは、ほとんどないといってよい。」(104頁)としながらも、ア、本人に全く原稿を見せない場合、イ、本人に取材し、代作者が原稿を見せたが、全く本人の手が入らずに本になった場合、ウ、本人に取材し、代作者が本人に見せ、訂正が入った場合などがあること、などが述べられている。印税について、折半というケースが多いこと、「著者」印税10%、ライター5%、制作費3%、ブローカーに2%併せて、20%という例もあるようである、なお、本書では、糸山英太郎『太陽への挑戦』(1973年・双葉社)について、豊田行ニ「『小説・糸山英太郎 太陽への挑戦者』(『オール讀物』昭和49(1974)年10月特大号・文藝春秋社)」に触れ、代作者が自白した経緯などを詳しく叙述している。

注10

東京地裁平成10年10月29日判決、知的裁集30巻4号812頁、判時1658号166頁。本件の判例について、野一色勳・著作権研究26号307頁。

粕谷一希によれば、吉田茂(1878―1967)『日本を決定した百年』は、高坂正堯(1934―1996)に「代筆を頼」んだ。口述ではないようだが、ただ吉田は「全文は丹念に目を通され」「とくに中国の取扱い」に「筆が入ったかもしれない。」という(吉田茂『日本を決定した百年』1967年・中公文庫)298頁の解説。

注11
作花文雄『詳解著作権法第二版』497頁は、「いわゆる代作の場合においては、形式的には本条(121条)に該当しても、世人を欺くというような実質的な違法性、反社会性がない場合も少なくないものと解される。」とする。

注12
東京地裁平成20年2月15日判決(平成18年(ワ)第15359号損害賠償事件)。L&T40号109頁。

注13
読売新聞夕刊平成17(2005)年7月29日。

次回をお楽しみに