大家重夫の世情考察

9,日本語教育-吉田彌壽夫教授、西尾珪子さん

 鷲塚壽調査課長とともに、文化庁国語課長室屋晃氏、上岡国威課長補佐、専門職員、そして国立国語研究所日本語教育センター日本語教育研修室長水谷修氏、野元菊雄国立国語研究所長にお目にかかった。水谷修氏は、名古屋大学教授、国立国語研究所長、名古屋外国語大学長をされた。2014年12月、81歳で亡くなられた。
 水谷修氏が座長格で、国語課で、協議会が開かれ、日本語教育は、3カ月、関西における日本語教育は、吉田弥壽夫教授にお委せするのがいいと、推薦されたように思う。
 昭和54年10月30日、大阪へ出張し、上岡国威課長補佐とともに大阪外国語大学留学生別科主任の吉田彌寿夫教授(1927-2005)に会う。
姫路で行う日本語教育の統轄をお願いする。
姫路の定住センターの教師団で、リーダーであられた北尾典子氏は、次の文章を残している。
「インドシナ難民の定住を促進するための施設では、健康管理や就職の斡旋など共に日本語教育が事業の重要な目的であった。日本語教育の専門家による文部省の協議会は、教育の期間、目標、内容などについて検討し、3ケ月の期間で、生活上最低限必要な日本語を聞き話し読み書く能力を養う日本語そのものの教育と、日本社会の生活習慣・社会慣習の基礎的な知識を養う教育を行うことを決定した。」(注12
 関西には、米国やヨーロッパ、東南アジアに派遣され、戻ってきた商社マンの夫人が大勢住んでいた。この夫人方は、外国で日本語を教えた方もいたし、今度、機会があれば、日本語を教えよう、そのためには、日本語の教育法を学びたい、と吉田教授のカルチャーセンターで学んでいた。吉田教授は、北尾典子さんら教師団を編成し、姫路センターの建築開業と同時に、昭和54年12月11日に、日本語教育の開校式を行った。(注13
大和市の大和定住促進センターが開所したのは、翌昭和55年(1980年)2月29日である。
 吉田教授は、日本語教育は、基礎的な事柄を徹底的教え込み、後、実際に使うこと、応用することが必要で、大事だという持論であった。3カ月でよいという。
 吉田教授は、歌人としても有名な方であると聞いた。やや皮肉屋で、ボヤキ屋の吉田教授を鷲塚課長があやしている、と感じたものである。
吉田教授と西尾珪子さんという統率者に、今から考えると、当方の失策だが、手当は計上していない。われわれは、吉田教授は、国立の大阪外国語大学教授であること、西尾氏は、国語課が認可した公益社団法人であるからと甘えていた(鷲塚氏にこのことを確認すると、時間が経過してから、お二人に難民事業本部の「参与」という肩書きを差し上げ、名目的な手当を出しようにしたという。)。
 吉田教授がボヤキ屋だった理由は、大阪の日本語の教師団が全員女性であり、学生相手と違い、いろいろと気苦労が絶えなかったからであろう。
 吉田教授は、学問的功績もあり、人望もあったから、「日本語の地平線-吉田彌壽夫先生古稀記念論集」(1999年12月20日・くろしお出版)が出版されている。
大和市の定住センターで、難民に日本語教育をお願いしたのは、社団法人国際日本語普及協会である。
学習院大学の国語学者大野晋教授門下の西尾珪子氏は、作曲家團伊玖磨氏の妹さんである。團伊玖磨氏には、私が文化庁庶務課課長補佐の頃、文化庁が委員会の委員をお願いしており、團伊玖磨氏の事務所に何度か書類を届けたものである。黒飛さんというお名前の秘書がおられ、珍しいお名前なので記憶している
 国際日本語普及協会は、文化庁国語課から社団法人の認可を得たばかりであった。私事になるが、私は、北九州市小倉北区出身で、小倉二中、小倉高校時代、伊玖磨氏、珪子氏の父上、團伊能氏(團琢磨の長男、東大の美学の助教授を経て、九州朝日放送会長)が1947年及び1950年の福岡全県1区の参議院の選挙に出馬され当選されたことを覚えていた。選挙カーが「團伊能」「團伊能」と連呼し、走っていた状景を思い出した。西尾氏にこのことを申し上げると、その選挙カーに乗られたこともあるという。西尾氏は、国際文化会館の松本重治さんの秘書をされていたと伺う。
 昭和55年2月1日、西尾珪子氏、宮崎茂子氏(注14)、坂本きく枝氏、工藤宮子氏(当時の名刺。のち岩見氏)と会っている。
西尾さんには、10,で後述するように、3カ月で、習得させることができるという論文もある。
野元菊雄国立国語研究所長は、簡約日本語を唱えておられ、読売新聞1982年(昭和57年)5月14日夕刊に「外国人に学びやすく-簡約日本語-単語は二千語、文法しぼりこむ」というエッセイを掲載されている。
野元菊雄所長は、難民事業本部発行の「IR月報」36号(1984年9月5日)に笹沼忠調査課長(鷲塚課長の後任)がインタビューした記事において、「今ここで個人的に言わせて貰うならば、もう少し学習時間を長くしておけばどうだったかと考えないわけではない。学習者の回転の問題、予算の問題等総合的に考察して3ケ月の期間が決められたものであるが、個人差にもよるものであるから、これが6ケ月だったら格段に日本語が向上するということでもない。しかし、私は、学習時間が長い方が良いということを否定するものではない。」
この文章から見ると、野元所長が、「3ケ月」を決定したようである。また、悩まれたようである。
われわれ、連絡調整会議事務局からすれば、長ければいいとしても、難民滞在費の負担増である。回転率がはやいほどよい。
 私が、野元所長、あるいは水谷修座長に、「3か月でお願いします」あるいは、「何か月でもいいからきめて下さい」「できるだけ短く」という注文を付けた記憶は一切ない。
 こうして、国語課の中の協議会、それも国立国語研究所の主導で、日本語教育カ3月が決まったように思う。1年ほど経過して、4か月になった。
 日本語自体とともに、日本文化、日本の生活指導ということを教えることが必要である、こういう意見が、教師や事務局からもでていた。そういう含みもあり、4か月になったと理解している。当時、黒木審議官から筆者は、日本語とともに日本文化、生活指導を教える、このことを文部省は、明記してはとの提案をうけ、文部省国語課、国際文化課へ、打診したが、「日本語教育」のみは責任をもつが、日本文化、生活指導といったことまで、責任は負えないといった理由で、拒絶されたことを思い出す。実際には、2つのセンターで、それぞれ、日本文化、生活指導が行われていた。(注15
こんなことがあった。商社マン夫人達は、京都、奈良、大阪に住んでいた。その自宅から、姫路まで、電車で往復する。アジア福祉教育財団の鷲塚課長は、通常の、すなわち鈍行の運賃で計算している。ところが、皆さんは、京都から、新大阪から、新幹線の「こだま」を利用し、姫路駅におり、バスで、砥堀にいく。そこで、鷲塚課長と私は、予算の計上されている文部省、大蔵省と交渉し、片道は、新幹線こだまの料金で支払うようにして、喜ばれた。
 東京では、ビジネスマン、学者、外交官およびその夫人、家族などに、正確な高度な日本語を教えることを目的とした「社団法人 国際日本語普及協会」が、その数年前に文化庁国語課の認可を得て活動しており、専務理事西尾珪子さんから、難民の日本語教育を担当してよいという、御返事を頂いていた。私が、文化庁の庶務課課長補佐か著作権調査官の頃、石田正一郎国語課長、森正直課長補佐の時であったと思う。
 関西の吉田教授とは、遠方であったが、吉田教授と鷲塚課長が頻繁に往来した。姫路のセンターは、附近住民への了解がはやくすみ、1979年の秋に、難民の受入ができ、姫路の定住センターは、日本語教育を開始できた。
吉田教授は亡くなられ、関西の日本語教育のプロ集団は、その後、どうなっているだろうか。その点、西尾珪子さん(注16)、宮崎茂子さん、岩見宮子さん、安逹幸子さんらの国際日本語普及協会が、現在、都内で、外国人外交官、商社マン、大学生に日本語を教え、日本語教師を養成し、日本語教育法を研究し、外国において「日本語」教科書を発行し、いいお仕事をされていることは、嬉しい限りである。
 私が、当時、気になっていたのは、日本語教師への時間当たり単価のことだった。日本語は日本人は、誰でもできるが、日本語教育はだれでもできるとは言えない。これを大蔵省は理解するだろうか。幸い、鷲塚氏が国語課にいて事情を知っており、大蔵省と折衝し、妥当な金額になったと思う。姫路の定住センターの所長は、労働省のOBだった。定年退職した人は、給料報酬のことはいわない。難民事業本部職員もいろいろな経歴の人がいる。
一般職員とのバランスを考慮すべきかということである。
後年、外務省の新任の担当官が、こういう経緯を知らず、「品川の救援センターの日本語教育はボランテアに1時間2400円支払って行う」という発言をし、すでに日本語教育について、プロ集団である国際日本語普及協会に委託をきめている関係者との間に混乱を招いたと聞いたことがある。定住センターの事務職員、日本語教師への報酬が別々に決められる以上、差があることは、仕方なかった。専門職への報酬が高いのは当然である。
定住難民、一時滞在難民への日本語教育を文部省の予算で負担する時は、難民事業本部の鷲塚課長を通して支払う。もし、一時滞在の難民への日本語教育は、外務省予算で支払うのであれば(外務省が難民事業本部の人件費など「その他」は負担した)、外務省の新任の担当官が、ボランテイアを募集し、低く、或いは高く、支払っても自由である、ということになる。


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中国政官データ[2016年5月版]

著者:大家 重夫(Shigeo Ohie)のご紹介

著者:大家 重夫(Shigeo Ohie)の写真

2013年 フランス ランスにて

プロフィール

1934(昭和9)年生まれ
久留米大学名誉教授・国際日本語普及
協会理事
LAIT(IT知財法務研究所)
客員研究員

京都大学法学部卒
1960年文部省(現・文部科学省)
1970年文化庁著作権課長補佐
1988年私立久留米大学法学部教授。
1995年久留米大学法学部長
2005年久留米大学特任教授・名誉教授
2011年日本ユニ著作権センターより
「著作権貢献賞」を受賞

主な著書に

  • 肖像権(1979年・新日本法規)
  • 改訂版ニッポン著作権物語(1999年・青山社)
  • タイプフェイスの法的保護と著作権(2000年・成文堂)
  • 唱歌『コヒノボリ』『チューリップ』と著作権(2004年・全音楽譜出版社)
  • 肖像権 改訂新版(2011年・太田出版)
  • 美術作家の著作権 その現状と展望
    (福王子一彦と共著・2014年・里文出版)
  • ウルトラマンと著作権
    (上松盛明氏と共編・2014年・青山社)
  • インターネット判例要約集(2015年・青山社)

などがある。

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