大家重夫の世情考察

7,「定住促進センター」の設置-カトリックと立正佼成会の世話になる

 インドシナ難民を収容し、日本語教育を実施し、就職斡旋を行う場所を設置すること、国内に遊休施設がないか、探すことが最重要の課題であった。
 7月には、大蔵省理財局国有財産総括課長、通商産業省総務課長、運輸省海運局外航課長、海運渉外官、農林水産省経済局国際部国際協力権課長補佐、労働省職業訓練局海外技術協力室長、自治大臣官房企画官、文部省総務課長などに会っている。
 大学時代の同じクラスだった男が東京電力にいることを思い出し、東京電力にもいった。
原子力業務部副部長の名刺が残っている。のち、和歌山県の白浜の奥の土地を見に行ったことがある。
 さきに述べたように、難民を収容する定住促進センターをどこに作るか、各省庁にお願いした。さらに、各都道府県にもお願いした。
 どの省庁も、どの県も遊休施設はなかった。わたくしの能力不足といったらそれまでであるが、当時の建設省などが本気になれば違ったであろう。外務省、法務省、文部省出身の内閣審議官では、簡単に、定住センターを決めることが出来なかった。
 カソリック教会が、進んで提供すると申出られて、その言葉に甘えることになった。
結局、関東に1箇所、関西に1箇所、定住促進センターを置くに至るが、神奈川県の大和市、兵庫県の姫路市に置くことになった。
 姫路定住促進センターは、仁豊野という姫路市の郊外にあり、もう少し奥に行けば柳田国男、松岡映丘の生家がある福崎町がある。
カソリック教会の横に姫路聖マリア病院があり、その一角に定住促進センターを作った。
 難民の子供は、すぐ近くの砥掘小学校に通った。
 最近、ベトナム難民の有志によって、センター跡地に「感謝碑」が建てられた(「愛」39号41頁)。
 姫路も大和市もカトリックの教会のカリタス・ジャパンの土地である。
定住促進センターでは、3月の日本語教育を行い、就職斡旋をするのである。一時滞在施設がいつも必要であった。日本に到着し、すぐ、この二つのいずれかに入所できる者は幸せである。一時滞在施設としては、立正佼成会の千葉県天津小湊町でも難民を引き受けて下さった。何度か、小湊へ行った。
関東では、カトリックの松村菅和神父、関西.姫路では、ハリー・クワドブリット神父、立正佼成会では、宮坂光次朗国際課長、鈴木耕太郎氏、千葉県の小湊教会の青木健蔵教会長にお世話になった。宮坂さんとはいまだに年賀状のやりとりが続いている。
 カトリックが協力してくださることになり、村角局長、黒木審議官以下、われわれは、本当に喜んだ。松村菅和神父、クワドブリッド神父のお蔭である。
 私は、2010年、常勤の仕事がなくなり、東京に戻ったのを機会に、松村菅和神父には、一度、お目にかかりたいと思った。関係者に伺うと、2004年3月8日、82歳でお亡くなりになっておられた。改めて、御礼を申し上げ、ご冥福を祈りたい。
 しかし、大和市の場合、付近の住民に説明会を行い、市民、市会議員を説得する仕事があった。
 黒木審議官は、承認を得るまで、連日、大和市へ通った。住民集会が何度も開かれ、わたしも1度、出席参加した。
 住民は、難民が乱暴をするのでないか、町が物騒になるのでないか、こういう質問に、黒木さんは、ボートピープルの難民は体力が衰えている者が多く、そんなことはない、ベトナム、カンボジア、ラオスの難民の人々は、温和であることを、を丁寧に説明された。黒木さんの説明に納得した遠藤直市会議員(のち市議会議長)は、付近の住民を説得する側に廻った。もと市会議員の遠藤さんと黒木さんは、いまだに年賀状のやりとりが続いているという。
 また、定住センターではなかったが、約20人のベトナム難民を立正佼成会の千葉県天津小湊で引き受けてくだっさったのだった。宮坂さん、青木さんのお骨折りで、有難かった。高橋典史氏による論文がある。(注11
国家と宗教団体との付き合いは難しい。
憲法20条3項は、「国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。」と規定し、89条は「公金その他の公の財産は、宗教上の組織若しくは団体の使用維持のため、又は公の支配に属しない慈善、教育若しくは博愛の事業に対し、これを支出し、又はその利用に供してはならない。」
津地鎮祭事件の最高裁判決(昭和52年7月13日判決民集31巻4号533頁)によって、一応の基準が定まっている。
 少なくとも、絶対的に分離ということは不可能で、難民を救済する、難民にとりあえずの住居を与える、といことについて、政府、地方公共団体も即時に対応できなかった。
 このとき、カソリク教会、立正佼成会などが土地を提供して下さった。内閣法制局の見解で、政府が、宗教団体の土地を借用することについて、憲法違反でない、とされた。しかし、政教分離の絶対的分離説にたてば、憲法違反といわれるであろう。
 約33年振りに、村角さん、黒木さんと会合を持ったおり、カソリックの松村神父、ハリー神父の名前がでて、改めて、私達は、カソリックと立正佼成会に感謝したのだった。
 奥野誠亮先生は、1980年(昭和55年)7月7日成立の鈴木善幸内閣に法務大臣に入閣された。法務省には入国管理局があり、難民事業本部、われわれ内閣の難民事務局員は、「これは仕事がしやすくなる」といった気分になった。
 法務大臣になられて3か月、1980年(昭和55年)10月30日、参議院法務委員会において、自民党の戸塚進也氏が「靖国神社国家護持法案を早く提出したい。靖国神社に参拝した閣僚の1人として、法相はどう思うか」と質問した。奥野法相は、「憲法上の宗教的活動(の内容)について、制定当時、十分議論されたかどうか疑問を持ち続けている。私が靖国に参拝するのは、国のために犠牲となった人への感謝の気持ち(の表明)であり、(一般の宗教的活動のように)特定の教義に共鳴してその活動に参加しているわけはでない」と答え、「参拝は必ずしも宗教的活動には当たらない」「私が8月に参拝したのは『私人(の資格)』で参拝した。」「『私人』といわねば、問題になる。早くなんとかしてもらいたい」と強調した(読売1980年10月31日)。
同年11月5日、衆議院法務委員会で、稲葉誠一議員(社会党)が、靖国神社への公式参拝をどう思うか、について、奥野法相は、「政府は、靖国神社への公式参拝は、憲法20条3項で疑義がある、と思っている。私は、憲法20条3項は靖国神社の公式参拝まで禁止していないのでないか、と思っている」「1,憲法20条はマッカサー草案のままで変わっていない。2,憲法制定当時、靖国神社への公式参拝ができるかどうか、議論されていない」「『宗教的活動』がもう少し広い意味を持っていれば、今日のような混乱は起きなかったと思うと」と答弁した。
 宮沢喜一官房長官は、「奥野発言は個人的見解」と語り、奥野法相は憲法論を述べたのでなく靖国神社論を述べたのでないか、と語った(1980年11月6日各紙)。
 奥野先生は、1981年11月3日まで、法務大臣を勤められた。
第二次鈴木善幸内閣が、1982年11月7日終わると、中曽根康弘内閣が、1982年11月27日から1987年11月6日まで約5年続く。
 このあと、1987年11月6日、竹下登内閣に、奥野誠亮議員は、国土庁長官として入閣する。


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中国政官データ[2016年5月版]

著者:大家 重夫(Shigeo Ohie)のご紹介

著者:大家 重夫(Shigeo Ohie)の写真

2013年 フランス ランスにて

プロフィール

1934(昭和9)年生まれ
久留米大学名誉教授・国際日本語普及
協会理事
LAIT(IT知財法務研究所)
客員研究員

京都大学法学部卒
1960年文部省(現・文部科学省)
1970年文化庁著作権課長補佐
1988年私立久留米大学法学部教授。
1995年久留米大学法学部長
2005年久留米大学特任教授・名誉教授
2011年日本ユニ著作権センターより
「著作権貢献賞」を受賞

主な著書に

  • 肖像権(1979年・新日本法規)
  • 改訂版ニッポン著作権物語(1999年・青山社)
  • タイプフェイスの法的保護と著作権(2000年・成文堂)
  • 唱歌『コヒノボリ』『チューリップ』と著作権(2004年・全音楽譜出版社)
  • 肖像権 改訂新版(2011年・太田出版)
  • 美術作家の著作権 その現状と展望
    (福王子一彦と共著・2014年・里文出版)
  • ウルトラマンと著作権
    (上松盛明氏と共編・2014年・青山社)
  • インターネット判例要約集(2015年・青山社)

などがある。

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