第7章 胡錦濤総書記の時代 – 後編 - ≪第1部 中華人民共和国小史≫

2016年6月22日

2011年(平成23年)

 朝日新聞2011年1月20日付け「中国、GAP(国内総生産)世界2位へ、前年比10.3%増で日本抜く」「日本は1968年に西ドイツ(当時)を追い抜いて手にした『世界2位の経済大国』の看板をおろすことになる」と報じた。
1月、胡錦濤主席が訪米した。
米中共同声明「アメリカは、強大で繁栄し、成功した、国際的役割を大いに果たす中国を歓迎する。中国は、アメリカがアジア太平洋国家の一員として、この地域の平和と安定、繁栄に努力することを歓迎する。21世紀にさらに安定し、平和で繁栄したアジア太平洋地域をともに築く努力をすることを両国の指導者は支持した。」
近藤大介「パックス・チャイナ中華帝国の野望」(講談社現代新書・2016年)63頁は、2009年共同声明に比べて、「積極的で全面的な提携関係」が、抜け落ち、「共同の挑戦に対処していく」とも謳ってなく、主語が、「両国の指導者」になっていると指摘した。

5月

北京市第一中級人民法院刑事部は、歴史家呂加平氏に国家政権転覆罪で懲役10年・政治権利剥奪2年の判決を下した。呂の協力者金安迪へ懲役8年・政治権利剥奪1年、呂加平夫人の于鈞藝へ懲役5年の判決を下した(阿部治平「リベラル21」による)。(のち、2015年2月17日、習近平は、呂加平氏を特赦し、3月、党幹部を集めた内部会議で呂氏特赦を報告させた。加藤隆則「習近平暗殺計画」(文藝春秋・2016年)32頁)。

中国共産党中央軍事委員会の顔ぶれ。
  ー2012年1月1日現在(富坂聡「中国人民解放軍の内幕」82頁)
主席  胡錦濤(国家主席、党中央総書記、常務委員)
副主席 習近平(国家副主席、常務委員)
副主席 郭伯雄(元常務副総参謀長)
副主席 徐才厚(元総政治部主任、党中央政治局委員)
委員 梁光烈(国防部部長)
委員 陳炳徳(総参謀部参謀長)
委員 李継耐(総政治部主任)
委員 廖錫龍(総後勤部部長)
委員 常万全(総装備部部長)
委員 靖志遠(第二砲兵司令員)
委員 呉勝利(海軍司令員)
委員 許其亮(空軍司令員)
(副主席3人のうち、習近平以外の2人、郭伯雄、徐才厚は、のち失脚し、徐才厚は死亡した。委員の常万全は、習近平政権で、国防大臣に就任、2014年11月24日、北京で開催した安全保障フォーラムで講演し、日本など周辺諸国との緊張緩和に乗り出すとの考えを示した。「1部の国家との間に争いがあるのは、正常であって大事なのは危機管理の能力を高め、危機を緩和することだ」と主張し、危機管理のメカニズムを早期に構築する必要性を述べた。この発言を聞き、長谷川慶太郎は、「共産党幹部が人民解放軍の勝手な行動に手を焼き、末端の下級將校たちに対してコントロールが行き届かない証明」である、「共産党の意思に反した軍事的な衝突を起こさないための対策作りといっていいと思います」「いかに中国共産党と人民解放軍の関係が亀裂を生じているか分か」る、と述べている(「アジアの覇権国家『日本』の誕生」(実業之日本社・2015年2月6日)120頁))。

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3月

菅直人内閣時代の2011年3月11日、日本で東北大震災が起こった。津波で、人が流され、福島の原子力発電所の放射漏れがあり、2016年現在、まだ完全に復旧していない。台湾の元総統李登輝は、その日の午後8時、日本の関係機関に、「元気を出して下さい」とメッセージを送った。世界142国:地域、39国際機関から支援の申し入れがあった。米国は、救助隊8000名以上、義援金49億円、物資150トン、送り、何よりトモダチ作戦で日本自衛隊と連携、日米同盟を深化、実際に機能させた(注67)。
台湾は、4月の段階で、約140億円、結局、約250億円と突出した多額の義援金を日本に送金し、救助隊63名、支援物資500トン以上を送ってきた。
中国政府は、日本政府に3000万元(約3億7500万円)相当の援助物資と救助隊15名、エネルギー面に関し総額1億5000万元(約19億円)相当のガソリン1万トンとデーゼル油1万トンを提供した。ミネラルウオーター6万本、ゴム手袋325万枚計96トンの支援物資を送った(加藤嘉一「脱・中国論」169頁)。
2011年3月末、外交担当の中国首脳が、加藤嘉一に(中国は、日本のODA援助がなければ、今日の中国はなかった、といって過言ではない。しかし、外交は内政の延長で、内政面の壁をクリアーしないと外交行為には移せない)、中国は格差も大きい、対日援助で農村部から反政府のストライキが起こり、収拾できなくなる可能性もある、中国はそれくらい脆いのだ。理解して欲しい」と述べている(「脱・中国論」171頁)。
この問答を読むと、一方で、反日教育をしながら、中国の首脳部は、虚栄心が強いのか、義援金の金額の多いか、寡少であるかを気にしていること、中国内部の貧困層とそこから暴動が起こることを非常に恐れていることがわかる。
 当時、約68万人の中国人が日本に居たが、中国人研修生、吉野家のアルバイトなど相当数帰国した(注68)。加藤嘉一「脱・中国論」によれば、中国のメデアは、日本人が冷静で、秩序だった対応をしていることを報じ、「震災後ほど中国人の対日感情が良好な時期はなかった」という(前掲書152頁)。(なお、加藤嘉一については、中宮崇は「正論」2013年1月号114頁で経歴詐称をし、凶悪なシナの立場を代弁しているとする。加藤は、中国の民主化について、観察するだけでなく、理解し、参画するべきである、と「中国民主化研究」(ダイヤモンド社・2015年)でのべる。言論の自由のない中国で、忠告、忠言は危険であると思うが、加藤嘉一のような人材は貴重で、もっと日本にいてと思う。)。

2012年2月16日

 2月6日、王立軍重慶市副市長が米国総領事館へ駆け込んだ。薄熙来事件の始まりである(注69)。
2月16日、中南海で、政治局常務委員会が開かれた。
胡錦濤は、薄熙来の責任を追及することを主張した。
賛成  胡錦濤、温家宝、李克強、賀国強。そして訪米中の習近平も賛成した。
反対 呉邦国、賈慶林、李長春、周永康 (注70
反対した4人は、江沢民に近い人ばかりである。
胡錦濤は、薄熙来に対して、調査を始めた。
3月14日、温家宝が、「いまだに文化大革命の誤りと封建的な問題が完全に取り除かれていない.改革が挫折すれば、文革の悲劇がまた繰り返される。」と記者会見で述べた。
3月15日、薄熙来の重慶市共産党委員会書記職の解任が発表された。
4月10日、政治局員と中央委員の職務停止、薄の妻谷開来の殺人容疑も発表された。
胡錦濤、温家宝らは、薄熙来を追い込み、周永康、徐才厚そして江沢民らに打撃を与えた、と喜んでいた。
胡錦濤は、腹心というべき令計画・党中央弁公庁主任に薄熙来事件の調査を任せていた。
山西省出身、地元の共青団から中央に引き上げられた能吏である。胡は、忠実な部下と思い、18回党大会で政治局員への昇格を考え、周囲もこれを認めていた。
この2012年3月18日に、令計画の長男令谷が、北京市海淀区で自動車の自損事故を起こした。北京大学学生の令計画の長男は、フェラーリに、中央民族大学と中国政法大学のチベット族の2人の全裸状態の女性を乗せ、運転、陸橋に激突し、令谷と1人の女性が即死した。この事故は、中南海を管轄する中央警衞局の部隊が事故車両を回収し、警察官に口止めした。峯村健司によれば、すぐ北京市トップを勤めた賈慶林を通じて、江沢民に伝えられた。
令計画は、当時の司法の責任者周永康にもみけしを依頼した。また、有力者を招き、5回宴席を設け、そのうち李源潮が3回出席した(加藤隆則・竹内誠一郎「習近平の密約」36頁以下)。ただ、加藤隆則・竹内誠一郎によると、「令の息子はまじめな青年」「事故は、薄熙来失脚から3日後に起き」「偶然にしては出来すぎている」という説がある(39頁)。
この頃、胡錦濤は、詳細は知らず、令計画の態度がなにかおかしい、と感じただけかもしれない。多くの人は、令計画が周永康に「もみけし」を依頼したのは、周永康が、警察、司法を統轄する政法委員会書記だったと思うが、単にそれだけでなく、このとき、薄熙来をいれた3者は「政治同盟」を結んでいたのである。
600万元は下らないフェラーリの購入資金は、令計画の妻谷麗萍へ李友・北京方正集団総裁から渡された。谷麗萍は、京都の高台院の近くの割烹旅館だった豪邸(「潤心庵」という表札がある)の所有者でないかという説のあること、谷麗萍と李友は、山東省青島空港において、成田空港へ出発予定の際、逮捕されたという(相馬勝「習近平の『反日』作戦」(小学館・2015年7月11日)142頁)。私は、日本政府は、速やかに外国人行政を一元化した外国人庁を設置し、外国人の不動産の所有状況等の情報についても把握できるようにしておくべきだと思う。

2012年8月

 2012年8月15日、北京から東へ約300キロ離れた河北省の渤海を望む北戴河で、江沢民ら長老も参加する最高幹部の会議が開かれた。胡錦濤は、習近平体制の指導部人事を議題にした。胡錦濤ペースで進んでいたが、江沢民が、令計画の息子の不祥事を取り上げ、流れが逆になり、長老から上司としての胡錦濤の責任を問う意見すら出て、胡錦濤の新指導部人事案は白紙になり、党大会の日程も決まらなかった。
 胡錦濤は、自分の側近中の側近と言うべき、党中央弁公庁主任、令計画(1956年生まれ)を調べ、令計画とその妻谷麗萍の腐敗問題を知り、また、薄熙来を担いでクーデタを起こそうとした周永康、徐才厚に加わっていたことを知り、驚愕したに違いない。
加藤隆則・竹内誠一郎「習近平の密約」によれば、中国の政官界では、「秘書の政治生命を守る最低限の責任がある」「秘書を守り切れなければ、胡自身も無力な権力者としのの汚名を背負う」のである。(注71
 令計画は、9月1日付けで、党統一戦線工作部長へ左遷された。後任には、栗戦書(1950年生まれ)前貴州省党委員会書記であった。(注72
 令計画と親しかった李源潮は、出世コースから外れ、江沢民に忠誠を誓っていた張髙麗が浮上した。胡錦濤、共青団出身者には、面白くない展開となった。
 2015年1月、令計画の兄、令政策(2014年6月逮捕)とその親族が結成した「西山会」(山西省出身者による派閥として習近平が断罪)、山西省出身の張昆生外交部儀典局長も失脚した(稲垣清「中南海ー知られざる中国の中枢」(岩波新書・2015年4月21日)199頁)。

2012年8月13日~18日

 北朝鮮の金正恩第一書記の叔父であもある張成沢・国防委員会副委員長(当時)が、北京での経済協力会議に出席するため、北京に滞在していた。
 周永康は、張成沢に私的面談を求めた。周永康は、「今、政変を起こそうとしている。これが失敗したら、北朝鮮に亡命する」と持ちかけた、という。一方、張成沢は、北朝鮮の指導者を金正恩から金正男に替える人事を相談したという。これを周永康が外部に漏らし、張成沢の粛清に繋がったという。この後者の話は、信用性が低いと加藤隆則はいう(加藤隆則・文藝春秋2015年8月号101頁)。しかし張成沢が金正男が中国に滞在し、連絡のとれる状態であれば、金正恩に讒言する者もいようし、金正恩は、張成沢が金正男、周永康と親密であったこと自体、不愉快で、(誇張された)情報が入り、処刑したと思われる。張成沢の姉と夫の全英鎮(チョン・ヨンジン)駐キューバ大使、甥の張勇哲(チャン・ヨンチョル)駐マレーシア大使とその20代の息子2人は、2013年12月初め、平壌で処刑された。全大使夫妻、張大使夫妻はいずれも銃殺という。張成沢の2人の兄(いずれも故人)の息子、娘、孫の直系親族は全員処刑された(富坂聰「中国は腹の底で日本をどう思っているのか」(PHP新書・2015年)140頁。周永康が漏らした情報のみによって、金正恩が張成沢などの処刑を命じた可能性もある。

2012年10月26日

 ニューヨークタイムズが、「温家宝の妻、子供、兄弟には、合計27億ドル(約2150億円)の資産がある」と報じた(この記事は、クリス・バックリー記者が書いた。中国当局は、同年年末のビザ更新を受けられず同記者は、香港に移動した。2015年9月、中国外務省は、同記者へ3年ぶりにビザを発行した)。
 これよりさきの2010年3月29日、フイナンシャルタイムズが、温家宝の長男・温雲松が新天域資本という「ヘッジファンド」をつくり、投資活動をしていると報じていた。
 温家宝は、民衆にも評判のいい人であった。
 矢吹晋・高橋博「中共政権の爛熟・腐敗」(蒼蒼社・2014年)164頁(矢吹執筆)は、温家宝の蓄財を暴露したのは、平安保険党委員会書記馬明哲であるとし「馬明哲は令計画の兄の令政策と親しく、馬明哲は令政策に秘密をばらし、それが『ニューヨーク・タイムズ』にもれたという。」。馬明哲でなく、周永康のようである。
 温家宝は、政治局に対し、この問題の調査委員会の設立を求めた。中央規律検査委員会には、「1号専案」組が設置された。ここで、温家宝の弁明が認められた。王岐山は、周永康を対象とした「2号専案」を設置した。ここで、石油閥、四川閥、家族の腐敗を徹底的に調べた(矢吹晋・高橋博「「中共政権の爛熟・腐敗」(蒼蒼社・2014年)165頁(矢吹執筆)。このとき、周永康、薄熙来、令計画の「政治同盟」が明らかにされた。加藤隆則によれば、周永康が、馬建・前国家安全次官(2015年1月摘発さる)をつかって、盗聴をし、外国メデイアに漏らしたからという(文藝春秋2015年8月号102頁)。

注67
中央公論2011年9月号60頁。

注68
中島惠「大震災後の日本から逃げる中国人、逃げない中国人」(中央公論2011年11月号188頁)。

注69
崔虎敏「習近平の肖像」飛鳥新社・2015年4月)は通説とは異なる解説をする。
 古森義久・矢板明夫「2014年の『米中』を読む」(海竜社・2014年)99頁は、中国政府とアメリカ政府との間に人権活動家であった法律家・陳光誠のアメリカ亡命を認める代わりアメリカは、王立軍を中国政府に渡した、らしい、という。

注70
峯村健司「13億分の1の男」112頁。

注71
加藤隆則・竹内誠一郎「習近平の密約」(文春新書・2013年)38頁

注72
栗戦書は、前貴州市党委書記で、習近平が、82年から85年まで、河北省正定県で、地方経験を積んだ頃、同省無極県で書記をし、親交があった。加藤隆則・竹内誠一郎「習近平の密約」(文春新書・2013年)101頁。中弁主任は、「党の中枢神経」である。江沢民総書記のとき曾慶紅、趙紫陽総書記のとき温家宝であった。富坂聰「習近平と中国の終焉」(角川SSC新書・2013年)119頁以下。 峯村健司「十三億分の一の男」(小学館・2015年)122頁によれば、2012年8月15日、北戴河会議で江沢民が令計画の批判をし、胡錦濤は会議での主導権を失い、求心力を落とした。相馬勝「習近平の『反日作戦』」(小学館・2015年7月11日)50頁、58頁。