第7章 胡錦濤総書記の時代 – 前編 - ≪第1部 中華人民共和国小史≫

2016年6月21日

2003年(平成15年)

全人代における投票結果を述べる。
胡錦濤総書記が「国家主席」になることについて。
支持率99.76%(賛成票2937票、反対票4,棄権3)
江沢民が、「国家軍事委員会主席」になることについて。
支持率92.53%(反対票98票、棄権122票)。江沢民は評判が悪かった(注59)。
3月、胡錦濤政権が発足したが2002年から2007年までの前期は、特に江沢民の発言力が強く、胡錦濤は自説を貫けなかった。

9月

広東省珠海市の「国際会議センターホテル」に2003年9月15日から宿泊した建設会社(株)幸輝(本社・吹田市)の社員らが集団買春事件を行ったという事件がある。
中国人男性が「北京青年報」に投稿し、9月26日、ホテルは、営業停止になり、中国人被告14人、日本人3人(帰国)が中国刑法に問われた。中国マスコミが批判的に報じ、中国外務省高官も珠海に南下し、調査した。珠海市中級人民法院は、2003年12月17日、組織売春などの罪で葉翔、明珠両被告に無期懲役と財産没収、劉雪晶、張軍英両被告に懲役15年と12年及び罰金の支払い、他の10人に懲役2年から10年及び罰金を命じ、日本人3名について、日本政府に捜査協力を要請した。日本のマスコミも自粛せよと報じた。10年ほど経過した2015年5月、中国の天獅グループが、フランスなどの高級ホテルを買い切りにし、豪遊したという話題がある。

10月末

西安の西北大学で、日本人留学生が「下品な寸劇」(新華社)をしたことがきっかけで学生が反日デモを展開。他大学から数万人西北大学へ押しかけ、大学施設、周辺の日本料理店、公安車両16台が焼かれた。(清水美和「『中国問題』の内幕」(ちくま新書・2008年2月10日)57頁)

2004年(平成16年)

9月 党中央軍事委主席、江沢民から胡錦濤になった。

2005年

3月、アナン国連事務総長が、日本の安保理事常任国入り支持を発言、米国の華人社会から反対運動はじまる。経済の高度成長が中国国民にも実感として意識されだした。日本に対し、「『敗戦国なのに国連安保理常連理事国入りを掲げる日本の態度は目障り』、当時、ネットに垣間見えた中国人の本音」であった(中澤克二「習近平の権力闘争」(日本経済新聞出版社・2015年)230頁)。
4月2日、広東省から「反日デモ」はじまり、9日、北京、上?など各都市で反日デモが波及する。日本大使館への破壊行為がなされる。
5月 呉儀副首相が来日するも、小泉首相との会談をキャンセルし、突然帰国した。小泉憎し、からか日本のマスコミは呉儀の非礼を非難しなかった。呉儀は胡錦濤への忠誠心があつく、それだからこそ副首相に任ぜられていたのである。
9月 アメリカのゼーリック国務副長官が、ニューヨークでの講演で、「中国とはStakeholderの関係である」と発言し、中国は喜んだ。

2006年

8月15日、小泉純一郎首相は、靖国神社に参拝した。
9月24日、胡錦濤、江沢民派の上?市党書記の陳良宇書記を解任した。
9月26日、小泉内閣は任期満了で、総辞職し、安倍晋三第一次内閣が発足した。
      安倍首相は、最初の外国訪問地を中国に選んだ。
10月8日、胡錦濤は、安倍晋三首相を、中国共産党第16期中央委員会第6回全体会議(6中全会)初日に招いた。(「中国では対日政策の転換は、胡指導部による上 ?グループの制圧という権力闘争と一体のものとして進められた。」清水美和「『中国問題』の内幕」(ちくま新書・2008年)78頁)

2007年(平成19年)

第17回党大会が開かれた。第5回全体会議で、習近平国家副主席を中央軍事委員会副主席に就任させる人事が決定した。「チィナ・ナイン」と呼ばれる常務委員は、次の通りである(注60

×

  1. 胡錦濤 中共中央総書記、国家主席、中共中央(&国家)軍事委員会主席。
  2. 呉邦国 全人代(全国人民代表大会)委員長
  3. 温家宝 国務院総理(首相)
  4. 賈慶林 中国人民政治協商会議全国委員会主席(全国人民政治協商会議全国委員会、略して全国政協は、非共産党員約60%含む。)。
  5. 李長春 中共中央精神文明建設指導委員会主任
  6. 習近平(59歳) 国家副主席、中共中央(&国家)軍事委員会副主席
  7. 李克強(57歳) 国務院副総理(副首相)(副総理は4人いて、李克強は第1副総理)
  8. 賀国強 中共中央紀律検査委員会書記
  9. 周永康 中共中央政法委員会書記(公安・検察・司法・法院等・治安維持)

△17期党中央員会委員
204名である。この中の90%が、直系親族を米国と欧州に居住させている(注61)。
△国務院
行政を担当する国務院の陣容は、次のようである(注62

胡錦濤 国家主席・共産党総書記・中央軍事委員会主席。
温家宝 国務院総理  政治局常務委員序列3位
李克強 国務院常務・副総理 政治局常務委員序列7位 発展改革、財政、
                         国土資源、環境保護、建設、人口、衛生
回良玉 国務院副総理 政治局委員 農業、民族、民政、宗教
張徳江 国務院副総理 政治局委員 工業、交通、人力資源、社会保障
                 企業改革、安全生産
王岐山 国務院副総理 政治局委員 商務、金融、市場管理、観光
劉延東 国務委員 政治局委員 教育、科学技術、文化・メディア、
               スポーツ、香港、マカオ
梁光烈 国務委員・国防部長 中央委員 国防動員
馬凱 国務委員・秘書長 中央委員 国務院日常業務、監査、会計検査
孟建柱 国務委員・公安部長 中央委員・政法委員会副書記
              公安・司法・国家安全
戴乘国 国務委員 中央委員 外交、華僑、台湾

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 2007年、全人代で、所有権を保障する「物権法」が制定された。「農地流動化を合法化する規定が初めて盛り込まれた。」(清水美和「『中国問題』の内幕」(ちくま新書・2008年)183頁)

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2007年9月 大連で、「第1回 夏のダボス会議」が開催された。李克強書記は、シテイバンクのウイリアム・ローデス頭取ら米経済界代表団に、中国の統計について、「電力消費量、鉄道貨物輸送量、銀行融資額の3つは信用している。他のすべての中国  経済統計、特にGDPは、ただの『参考用数値』に過ぎない」とオフレコで述べた。

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 2007年、この2年前あたりから外国資本が中国から撤退する事例が出始めた。
民事訴訟法231条(2012年改正法252条)「(出国制限措置等)被執行人が法律文書により確定された義務を履行しない場合には、人民法院は当該被執行人に対し、出国制限並びに信用情報システム記録及びメデイアを通じた義務不履行情報の公表並びに法律に定めるその他の措置を自ら行い、又は関連単位に協力を求めて、これらの措置を行うことができる。」外国資本の夜逃げを防止するための法律であるが、それだけ、頻繁に起こってきたのであろうか。(注63

2008年8月

中国は、北京で、オリンピックを開催した。その前に、ギリシヤから発して聖火が、各国を廻わる。日本では、4月26日、日本の長野市で聖火リレーが行われた。チベットからの亡命者がプラカードを掲げたが、引きずり下ろされ、彼らは、日本人とともに中国人から暴行を受けた。5000名といわれる中国人留学生が沿道を埋め尽くした。在日中国大使館が、動員した。福田康夫内閣は、中国人を逮捕しないよう指令した。中国人に警戒心をもつ日本人が増えた。(注64
 北京オリンピックを担当したのは、2007年、中央政治局常務委員に任命された習近平で成功裡に終わり、習近平は自信を深めた(注65
 9月、アメリカの投資銀行リーマン・ブラザーズがサブプライムローン問題などで、9月15日破綻し、世界的金融危機を起こし、世界同時不況になった。中国の高度成長に黄信号を灯す契機となり、中国政府は4兆元(約68兆円)の景気てこ入れ策をとった(相沢幸悦「軍事力が中国経済を殺す」(講談社α新書・2014)32頁)。温家宝が4兆元を支出し人件費が高騰した(石平・宮崎正弘「私たちの予測した通り、いよいよ自壊する中国」(ワック・2015年)47頁)。
 4兆元の財政出動は、生産過剰を生み、地方債は膨らんだ。

2009年(平成21年)

8月、総選挙で自民党が敗北し、民主党の鳩山由紀夫が総理大臣に就任した。
9月、アメリカは、オバマ政権の最初の年で、スタインバーグ国務副長官が、「中国とはStrategic Reassurance(戦略的再保証) の関係である」と規定した。
11月、オバマ大統領が、訪中し、次の米中共同声明を表明した。
「アメリカは、強大で繁栄し、成功した、国際的役割を大いに果たす中国を歓迎する。中国は、アメリカがアジア太平洋国家の一員として、この地域の平和と安定、繁栄に努力することを歓迎する。両国は、21世紀の積極的で全面的な提携関係に尽力し、共同の挑戦に一歩一歩対処していく」(近藤大介「パックス・チャイナ中華帝国の野望」(講談社現代新書・2016年)62頁)。
10月9日、オバマ大統領が非戦と非核を宣言した功績でノーベル平和賞が授与された。

12月

 12月15日、習近平国家副主席が、日本を訪問し、天皇陛下との特例会見が行われた。
習近平は、党の序列第6位、中央政治局常務委員兼中央書記処書記。日本は民主党政権で、鳩山由紀夫首相、小沢一郎幹事長であった。天皇との会見は、1カ月前までに申請を受ける「1カ月ルール」が慣行であった。中国側に伝えており、催促したが、中国側は、「政府の重要会議ー中央経済工作会議の日程が決まらない」といいて、返事がなかった。鳩山首相は「1カ月ルール」があり、申入れは20日前を切っており、一度、断った。
習近平側は動いた。小沢一郎が宮内庁を押し切った。日中関係の重要性を考慮、民主党政権は、会見を実現させた。羽毛田信吾宮内庁長官が天皇の政治利用についての懸念を公言し、小沢幹事長がこれを非難、これについて世論も批判した。
1カ月ルールを中国側も知っており、「李克強氏に近い党幹部が、経済工作会議の日程決定をわざと送らせた、という話を聞きました」と打ち明けた(注66
 のち、この2009年に、周永康と薄熙来そして胡錦濤の側近である令計画の3人が、政治同盟を結び、すでに第17回党大会(2007年)で内定している習近平の政権継承を阻止し、第18回党大会(2012年11月)後に、薄熙来政権を実現し、令計画を党中央政治局常務委員入りさせる計画が進んでいた、と「党中央から幹部への『内部報告』」は述べている(加藤隆則、文藝春秋2015年8月号97頁)。なお、薄熙来、令計画は、山西省出身、周永康は江蘇省出身だが、妻の賈曉燿が山西省出身である。

2010年(平成22年)

 中国は、国内総生産(GDP)が日本を抜き、世界第2位になった。
 日本では、民主党政権で、菅直人総理大臣、岡田克也外務大臣の時、駐中国大使に、伊藤忠商事の社長、会長を歴任した丹羽宇一郎を任命した。チャイナスクールといわれる外務省の中国専門の官僚による大使でなく、民間の人がいいという意見もあり、丹羽大使の任命は、新鮮で、危惧する向きもあったが、外務省に不満をもつ人々、マスコミには評判が良かった。丹羽宇一郎は、伊藤忠時代から、中国通であった。親中派である。
 しかし、2012年12月、「事実上の更迭で退任」した。「大方は『こんなことなら外務官僚のほうがまだましだった』ということで異存はないと思います。」(青木直人「誰も書かない中国進出企業の非情なる現実」(祥伝社新書・2013年)166頁)という意見がある。丹羽大使時代、三井物産、三菱商事をはじめとする総合商社は、中国でトラブルが発生しても、決して日本大使館に駆け込み、相談をすることはなかった。それぞれ知られたくない秘密があり、これを伊藤忠商事のトップにいた丹羽大使に知られたくなかったのである。
 丹羽宇一郎「中国の大問題」(PHP新書・2014年)、「北京烈日」(文藝春秋・2013年)を残している。
 2010年、劉曉波が、国家政権転覆扇動罪で、懲役11年の実刑判決を受けた。11月、ノーベル平和賞を受賞した。中国政府は、ノーベル賞授与式への出席を認めなかった。
2016年3月現在、獄中にある。楊海英によると2016年2月、米上院本会議は、ワシントンにある駐米中国大使館の立つ一角を「劉曉波プラザ」に改称する法案を全会一致で可決した(ニューズウイーク日本版2016年3月8日号15頁)。
 2010年9月、江沢民の実父江世俊が、汪兆銘政権の官僚であった、即ち「漢奸」であったとインターネットで公表した歴史研究家呂加平氏が当局に連行された。

注59
遠藤誉「『チャイナ・セブン』胡錦濤の真の狙い」WiLL2013年2月号53頁。

注60
遠藤誉・「『チャイナ・セブン』胡錦濤の真の狙い」WiLL2013年2月号58頁。

注61
米華字サイト多維新聞網から。黄文雄・石平「日本に敗れ世界から排除される中国」(徳間書店・2014年)153頁)

注62
唐亮「現代中国の政治」(岩波新書・2012年)66頁などを参考にした。

注63
黄文雄・石平「『中国の終わり』のはじまり」(徳間書店・2012年)30頁。上松 盛明・大家重夫「ウルトラマンと著作権」(青山社・2014年)vii頁。

注64
関岡英之「正論」2008年7月号、関岡英之「中国を拒否できない日本」(ちくま新書・2011年)12頁~25頁。

注65
古森義久・石平「自壊する中国反撃する日本」(ビジネス出版・2014年)84頁。

注66
峯村健司「13億分の1の男」(小学館・2015年)226頁。