第1部 中華人民共和国小史 – はじめに

2016年6月15日

(1)習近平は、毛沢東、鄧小平クラスか

 2012年、習近平が中華人民共和国の最高指導者に就いた。
歴代最高指導者の中で、毛沢東、鄧小平は別格で、華国鋒、胡耀邦、趙紫陽、江沢民、胡錦濤といった総書記は、この2人には及ばない、というのが大方の評価、定説である。
 2015年、習近平は、毛沢東、鄧小平クラスかも知れない、という声が出はじめた。ところが、2016年、習近平は、反腐敗で、、習近平への個人崇拝キャンペーンで国民の支持を得てきたが、摘発のやりすぎ、経済の不振により、中央、地方の官僚、軍の反発を招いている。党、政府において、孤立しているのでないか、盟友王岐山との関係が悪化しているのでないか、という声も出始めた。
 習近平をめぐって、まだ評価は決まっていない。

(2)習近平は、トップ就任当初から強かったか。

 習近平が胡錦濤の次のトップになると報道されたとき、日本では、習近平は、太子党でひよわく、江沢民派、胡錦濤派との妥協人事で、「最後の将軍」ではないか、という予測が有力だった。
 矢板明夫は、「習近平-共産中国最弱の帝王」(文藝春秋・2012年3月20日)という題名で、「状況の変化によって習近平が最強の指導者になるチャンスがないとは限らない。」と留保するものの、習近平は、歴代の中で「実力は最も弱い」としていた。
 中央公論2015年3月号において、加茂具樹氏は「筆者を含む中国政治の研究者の多くは、彼が短期間で『強いリーダー』になるのは難しいと予想していた。だがその後の2年間の政治的パフォーマンスを振り返ると、我々は見立てを外したと言わざる得ない。習は『強いリーダー』としてのイメージの形成に成功している。」(64頁)と述べるに至った。
 もっとも中央公論2015年10月号において遠藤誉氏は、「習近平ほどスタート時から強大な力を持った国家主席はいない」という。上記遠藤誉論文は、「腐敗撲滅運動は絶対に政治的権力闘争などではない」という。これには、疑問がある。
 私は、習近平は、腐敗撲滅に名を借りて、反対派を粛清している。権力闘争をしている、このことによって、「強いリーダー」になったと思っている。ただ、最近、習近平の腐敗撲滅という名目の粛清は、「やり過ぎ」である、という声が出始めた。 
 また、この反対派の粛清は、王岐山によってなされているのであり、実は王岐山が実権をにぎっているのでないか、王岐山自身が、習近平に敬意を払っていないのでないか、と石平は指摘している。
2016年2月、習近平が「党・政府が管轄するメデイアは党を代弁せよ」と忠誠を命じたところ、実業家、北京市政協委員の任志強が、SNS「微博」において「人民政府は、いつ党の政府になったのか」と疑問を呈し、福島香織は、任志強の背後には親友王岐山がいるとして、習近平と王岐山の亀裂を示唆している(サピオ2016年6月号16頁)。

(3)2012年、習近平、総書記へ

 2012年11月15日、習近平が、中華人民共和国のトップである中国共産党中央委員会総書記・国家主席になった。
 2012年(平成24年)11月8日から14日まで、第18回党大会が行われた。党大会は、5年に一度開催される最も重要な会議である。各省、直轄市、自治区、人民解放軍など40の党組織から選ばれた代表2270人が出席した。
 この党大会で、習近平は、中国共産党中央委員会総書記に選ばれた。2270人が「了承」した。11月15日、1中全会(第1次中央委員会全体会議)が、25人の中共中央委員会政治局委員、7人の常務委員を選んだ。
 これより先、2007年第17回党大会後、新常務委員9人のお披露目会見で、習近平が李克強より、先に姿を見せ、また党軍事委員会副主席に就任し、習近平が序列で李より上位であった。すなわち、5年前の2007年秋に、習近平のトップ就任が内定していた。
 習近平は、北京オリンピックを担当したが、この5年間は、見習い期間で、当時の薄熙来の動きを考えると、確実に、総書記になる、と断言できなかった。

(4)チャイナ・セブン

「中国共産党中央政治局常務委員」、この人々が中国を動かしており、2007年秋から、2012年秋までの5年間は、9名であった。チャイナ・ナインと呼ばれる。
17期の常務委員9人のうち、習近平、李克強の2人は別であるが、2012年、胡錦濤、呉邦国、温家宝、賈慶林、李張春、賀国強、周永康の7人が「68歳定年」の不文律で引退する予定であった。事実そうなるが、2009年のある時点で、上記の周永康は、当時、重慶市党委書記である薄熙来、胡錦濤総書記の下で党中央弁公庁主任だった令計画とともに習近平政権を阻止し、薄熙来政権樹立を計画していたことが後、判明する。
 18期の常務委員は、2012年から2017年までの5年間、7名にもどった。今度は、チャイナ・セブンである。
「チャイナ・ナイン」、「チャイナ・セブン」いずれも前記の遠藤誉教授が日本で広めた。帰国子女で、物理学者で、現在、筑波大学名誉教授である遠藤誉東京福祉大学教授が、その著書の題名に使われたため、日本で、一般に普及した。遠藤教授は、中国社会科学院社会学研究所客員研究員・教授を歴任されている。(注1

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 2012年11月、チャイナ・セブンの序列が決まった。()内は当時の年齢である。
1,習近平(59)、2,李克強(57)、3,張徳江(66)、4,愈正声(67)、
5,劉雲山(65)、6,王岐山(64)、7,張髙麗(66)
 これは序列だが、腐敗撲滅運動を実際に行い、存在感があるのは、習近平と6位の王岐山で、2位の国務院首相である李克強の影は薄い。しかし、これはどこの国でもよくあるように、李克強は、習近平と王岐山の失敗を待っていて、そのとき、自身に責任がないことを主張、トップの地位を確実にするつもりだ。隠忍自重している李克強は、それなりに楽しんでいるのかも知れない(石平「習近平にはなぜもう100%未来がないのか」(徳間書店・2015年)143頁は、景気悪化により李克強にとって僥倖というべき事態となったという)。習近平総書記と李克強首相は、目を合わさなかった、と何時も報じられている。

注1
遠藤誉(1941年ー)は、中国吉林省長春生まれ、1953年帰国、埼玉大学理学部、筑波大学大学院から筑波大学教授。現在、東京福祉大学国際交流センター長。理学博士。
1984年「『チャーズ』ー出口なき大地」(読売新聞・1984年)を出版した。山崎豊子「大地の子」(文藝春秋・1991年)のある部分が、遠藤誉のチャーズの著作権(翻案権) 侵害でないかと争われたが、東京地裁平成13年3月26日判決判例時報1743号3頁は、翻案権侵害を否定した。大家重夫の判例評釈(判例時報1761号194頁(判例評論514号40頁))がある。